人によって価値観はそれぞれ違う。
その人なりの美学やこだわりもそれぞれ違う。
例えば
自分なりの仮説や見解を立ててアウトプットしていって結果を見て、その結果を捉えてそこからまた必要な情報をインプットして仮説を立てて結果に繋げる人もいれば
どんどんインプットしていって知識を1つの指標にして、理論や述べ方を考え続けている人もいる。
他にも人それぞれ色々ある。
全てがその人にとっては正しいし、別にその過程の中で気づきやきっかけがあり、途中からこだわりを変えていっても何の問題もない。
というか5年前に信じてる考え方、3年前に信じてる考え方、今信じてる考え方って違ったりしますよね。
ここは成長していたら変わっていくものなのかと思います。
もちろん良い結果が出る確率を高めるために学ぶし、色んな選択肢から何かを選んで前に進んでいくのですが
結果には自らの学びだけでは語れない色んな条件も絡んでくるわけだから
ある意味比較のしようがない。
ということは自己満足でしかない。
自己満足でいいし、自己満足の何が悪い?
だからお互いに批判し合う必要なんか一切ない。
誰々はすごい、誰々はだめ、誰々は合ってる、誰々は合ってない、、。
自分や対象の人のこれからの成長を無視したらそうなるかもしれないですが、成長してる人には変わっていく可能性があるわけですから、それは当てはまらないですよね。
あいつはあいつ、おれはおれ。
でいいじゃないですか。
自分の美学やこだわりは自分が貫くもの。
自分の美学で他人を貫くのは僕は違うんじゃないかと思っている。
自分を信じる力はいらない比較を超えていけば無限の可能性がある。
んじゃないかな〜。
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